一家に一本!キンチョール。

一家に一本!キンチョール。

 

 

大日本除虫菊株式会社 創業130年  本社 大阪市西区 創業者 上山英一郎

除虫菊を栽培、研究する

除虫菊は、ユーゴスラヴィア原産で、14世紀~15世紀にその殺虫効果が発見され、研究、栽培が始まり、17世紀~18世紀にかけて米国に渡りました。

一方、日本と言いますと。和歌山県有田市の全国有数なみかん農家に生まれた上山英一郎は、みかんの木につく虫に頭を悩まされておりました。長じて、慶応義塾に学び、福沢諭吉の薫陶を受け、殖産興業の海外輸出を天職と定めました。有田に戻り、みかんの海外輸出の方途を模索し始めました。

1885年(明治18年)、サンフランシスコで植物輸入会社の経営者E.Hアモアが、英一郎を訪ね、日米両国の珍しい植物を交換しました。後日、アモアから、米国の多様な種子が送られてきました。英一郎はその中に除虫菊の種子を見つけたのでした、上山商店、後の大日本除虫菊誕生の瞬間でありました。

蚊取り線香からキンチョールへ

除虫菊は、その花部、子房に天然殺虫力のある成分ピレトリンを含んでいます。ピレトリンとは、同じ立体構造をもつ成分の総称です。昆虫類の神経細胞の受容体に微量で速効的に作用します。研究を積み重ねて、英一郎は除虫菊の栽培、収穫、製粉の技術に確信を得、それを国内に普及すべく、全国を回って講演会を開きました。

1890年(明治23年)、世界初の香取線香となる棒状の香取線香を開発、販売を始めました。1895年(明治28年)には、英一郎の妻ゆきさんの発案により、今日も親しまれている渦巻き型香取線香が開発し、それまで弱点であった燃焼時間の飛躍的伸長を実現しました。

戦後となって、有機塩素剤(DDT)、有機リン剤が広く使用されますが。安全性、抵抗性に問題があり、あいついで使用禁止になります。

こうした混乱の時代にあって、大日本除虫菊では、除虫菊に端を発するピレトレンを化学合成する技術を基にしながら、合成ピレスロイドを開発します。

そして、1960年(昭和45年)、除虫菊エキスを精製、合成させた、固形(蚊取り線香)でもなく、粉末(DDT)でもない液体エアゾール「キンチョール」の商品化に成功しました。

「キンチョール」は、圧縮ガスと混入させた殺虫剤を、弁を持つ容器に封入し、ガスの力によって放出させる構造です。

キンチョールに用いられるピレスロイドは、天然成分ピレトリンに似た化合物であって、昆虫の口や皮膚から入り、神経をマヒさせる作用があります。一方、ほ乳類、鳥類、魚類の体内では速やかに分解されてしまいます。

創業130年を経て、研究成果の結実を生かし、独自の生産ラインで各種製品を製造しています。さらに、さまざまな製品検査の実施。そのうえで成分抽出、分析データをフィードバックさせ、さらなる厳しい品質管理を実行しています。

 

商品開発のこころ

KINCHOは、科学研究と生物研究を商品開発の両輪としてきました。

そのため、研究所では多種、多様な国内外の昆虫を大量に飼育、観察しています。

一例をあげますと、兵庫県赤穂市の研究所では、ゴキブリ20種60万匹を飼育しています。

クロゴキブリ、チャバネゴキブリ、ヤマトゴキブリ、、、、、、、、、等々を詳細に観察し、かれらの生物的特徴、行動特性、環境条件を明らかにしていこうとしています。
そのなかで、意外な事実につきあたることがあります。チャバネゴキブリは、やがてピレスロイド系に抵抗性を持ってしまいます。理由は、成長が非常に速く、変化する環境に即座に適応するためです。ピレスロイド系剤ではまったく効かない昆虫となってしまいます。

KINCCHOの挑戦は続きます。

しかし、ゴキブリ飼育、研究18年。有吉立課長はこうも言います。

「虫が大の苦手でしたが、飼育、研究を続けているうちに、ゴキブリの方も人間を怖がっていることがわかり、それ以来、次第に親近感が持てるようになりました。」

人と虫たちとの闘いの長い歴史の奥には、科学や人間、自然にとって、何か大切なことが隠れているのかもしれませんね。

キンチョール

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